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三電研設立の経緯・発動編


「社歌が歌えるそうですね。手後れですから入社しませんか?」(社主からのメール)


1999年夏,雑誌編集のバイトにも慣れ,東京での暮らしにもメドが立った頃です。折角東京に住んでいるのだからとコミケに行ってみることにしました。知り合いのブースに挨拶に行った後は,特に目当てもなかったので足任せでぶらぶらしていました。そのときたまたま4枚のCD,即ち「豪快な歌声'98」「豪快な歌声T3」「豪快な宮内タカユキ」「豪快な宮内X」を買い求めたことが,数ヶ月後に大きな意味を持つことになるとは,その時は思いもよりませんでした。


10月31日,東京ビッグサイトで「carnival」というCG関連のイベントが開催されました。イベントの内容そのものは別にどうということのないものだったのですが,僕にとっては大きな収穫がいくつもありました。その一つがSSS総司令にお会いできたことです。そのときに「実は『豪快な宮内X』に合わせたCGが作りたい」「社主の超弐號形態を3DCGで作りたい」という話をしたことが三電研設立に繋がることになるとは,その時の僕には知る由もありませんでした。


接触編でも書きましたが,現在僕がバイトしているCG雑誌の編集部に「ン・パカ マーチ」を作詞した人のお嬢さんがいます。その人--仮にMさんとしておきます--に「豪快な歌声T3」をお貸しした所,Mさんのお母さん,即ち作詞者本人が大変お気に召され,早速通販でお買い求めになられたそうです。
T3返却の際,「本物」のン・パカ マーチのシングルCDを僕に下されたのですが,それは別の話。
このことをSSS総司令にお話した所,「CGの件は幹部の方々が多いに期待されておられる」「CDの件は社主も御満悦の御様子にあらせられる」と何とも勿体無きお言葉。そして,社主からも冒頭の内容のメールを直々に頂きました。役職名は自己申告により「三次元電子絵画研究室室長」に決定,かくして三電研が設立されることになったのです。
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