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三電研設立の経緯・接触編


僕が不気味社の存在を知ったのは,記録によると1994年秋,キャプテン版「宇宙家族カールビンソン」の10巻に収録されている「ランダムドットの迷彩の巻」の扉の下に「協力/不気味社総合研究所」と書かれていたのを見たのが最初でした。もっとも,当時の僕はまだ何も知らなかったので不気味社なるものが一体どういう所なのか見当も付かなかったのですが。

それより溯ること3年,即ち1991年12月発行(奥付による)の「ワッハマン」1巻の巻末に「ワッハマン30の秘密」という記事がありましたが,その中に「好きな音楽/オリュンポス32歌神の豪快な歌声」という文言がありました。これが,僕が最初に見た豪快な歌声に関する記述です。といってもその時は「アトランティスにはそういう神様がいたのか」ぐらいにしか考えませんでした。3年後に「カールビンソン」の単行本で不気味社の名前を見たときも,この二つが関係があるとは考えもしませんでした。

追記:当時はあさり先生と不気味社との間には直接の繋がりはなかったので,上の記述を見たときは社主も驚愕なされたそうです。


それは4回生への進級を目前にした1997年春のことです。当時所属していたサークルが主催する合宿で,ある先輩が持って来ていた「豪快な歌声」を聞いてしまいました。恐らく初めて豪快な歌声に接した多くの人がそうしたように,僕もその歌唱力に驚嘆しつつ,腹を抱えて笑い転げていました。己の運命も知らずに……


大学時代の僕は授業こそ真面目に出ていましたが,それ以外の時間はほとんどサークルの部室に入り浸りでした。もしかしたら家にいるよりも部室にいる時間が長かったのではないでしょうか。
そんなある日のこと,ある後輩が部室のテレビで「夢のクレヨン王国」を見ていました。僕はこの手の女の子向け(という建前)のアニメは余り見ないのですが,その時見た話に引かれるというか引っかかるものがあったので,翌週からクレヨン王国は毎回見ることにしました。今にして思えばこれもオリュンポス32歌神のお導きだったのかも知れません。


1998年春に無事大学を卒業したのですが,就職先が倒産するなど様々な不運に見舞われ,仕事がないままあちこちを放浪する生活が1年ほど続きました。そして翌1999年,色々あって知り合った,とあるCG専門誌の編集長の計らいでその編集部でバイトできることになりました。
編集部には事務その他を任されている一人の女性がいました。後になって判ったのですが,その人は「ン・パカマーチ」の作詞者のお嬢さんだったのです。


かくして,全ての伏線は張られました。
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